涸沢
    2309m
(長野)

KARASAWA

2005年5月2日 晴れ

自宅3:00〜羽島〜(名神)(東海北陸道)〜郡上八幡〜(せせらぎ街道R158)〜平湯6:00〜あかんだな駐車場バス停(上高地行きバス)6:25〜上高地7:00〜明神8:00〜徳沢9:00〜横尾(10:00〜10:25)〜本谷橋11:30〜涸沢(13:50〜14:20)(テント設営)

平湯あかんだな駐車場に車は50台ほど。バスに乗ったのは5人だけと少ない。
上高地に着くと道横に少し雪が残っていた。あの厳冬期の雪がうその様。



春まだ浅くケショウヤナギの先がやっと赤くなったばかり。
梓川が青く透き通って綺麗。槍ヶ岳、穂高岳の雪解け水だ。明神岳の山頂部分のガスが空いて時々青空が覗く。残雪があるがほとんど岩肌。
梓川に沿って涸沢の事を考えながら歩く。朝からおなかが痛い。残雪の涸沢という未知の世界にたぶん緊張しているからだと思う。
小梨平や徳沢もテントが多い。新村橋に来ると残雪が多い谷が目に入る。多分奥又白谷。
このあたりだったか先週御在所岳前尾根で話したYさんと偶然出会う。「すれ違いかもね。」といっていたのに本当に出会った。感激して握手。ソニーの水中でも使えるデジカメで写真を撮ってくれた。「北穂高岳行ったよ。北穂沢は思ったより傾斜が急だった。」そうだ。私に行けるかな?

徳沢から横尾に行く山沿い道が一箇所落石で崩れている。下の川原に道が出来ていた。左手に迫力ある屏風岩が見えてきた。横尾で槍ケ岳への道と別れ、横尾大橋を渡る。所々残雪がある。


本谷橋に着くと雪渓があいて雪解け水がものすごい迫力で流れている。橋はかかっていない。このあたりから雪一色となる。その上でアイゼンをつける。


いつか御在所岳で見た雪崩跡のデブリが現れた。スケールが違う。
あたり一面でこぼこした雪原地帯となった。これが穂高のデブリなの?
あまりにも広大なでこぼこ雪原に圧倒されて「たいへんな所に来てしまった。」と立ち止まってしまった。こんなのが押し寄せてきたらつぶされる。
そのデブリの中に踏み跡道ができていた。涸沢谷の残雪をふみしめ、穂高の春に感動しながら恐れながら?進む。



前方に前穂高北尾根らしい特徴ある黒い岩の峰が見えてきた。ヒュッテのこいのぼりが小さく見えて正面に奥穂高岳と涸沢槍ケ岳が目に入る。右手に北穂高岳南稜の黒い岩。涸沢だ。
以前秋に来た時ナナカマドや岩の間を行ったがみんなこの雪の下らしい。すごい。
涸沢のイメージが違う。ただ白いだけの涸沢には太陽の光がさんさんとふり注ぎ溢れ、ここだけどこかヨーロッパアルプスの雰囲気。美しすぎて、ふとめまいがした。
正面は秋に降りたことがある奥穂高岳からのザイテングラード。その左のあずき沢を人が上り下りしているのが小さく点々と目に入る。



前穂高岳下の斜面では雪上訓練をしている。スキーで奥穂高岳から滑り降りる人もいる。雪面にスキーや人の足跡の落書きが面白い。
北穂高岳を見上げる。左に南稜、その右にゴジラの背の東稜の黒い岩。その間が北穂沢らしい。ここにも白い雪の上に黒いゴマ粒のような人。明日ここを登るのだ。やはりすごい急登だな。私に行けるかな?
テント村ではどの人もこの美しい涸沢に酔いはしゃいでいる。
皆、雪焼け日焼け防止にバンダナを顔に巻き雪目予防にサングラスというスタイル。

腹痛が少し和らいだがやはりここでいつもながらの頭痛。それと息苦しい感じ。急に歩くのを止めてはいけないとカラフルな涸沢テント村を散歩。アミノ酸ゼリーを飲んだりブドウ糖を口にしたりして。風はほとんどない。
体調が悪い人か?ヘリで運ばれて行った。
夫はスコップで雪を均しテント設営。中にシートと冬用マット。
4時10分頃穂高岳山荘あたりに日が沈んだ。急に寒くなる。冬用帽子にネックウオーマー。ヒュッテのおでんで温まる。食欲があるのが有難い。以前は何も食べる事ができなかったのだから。夕食はカップメン、ソーセージ、ミニトマト。
涸沢の春は昼間と夕方の気温の差が大きいようだ。昼間は夏の様で夕方からは冬。この温度の変化に私の体がついて行けない。バファリンを飲んでカイロを貼る。
ダウンの上下インナーを着て寝袋に入る。でもそこはやはり春山、西穂高岳での真冬のあの厳しさはなく寒さはあまり感じない。テントの中も何も凍らないし、私の体調が悪いだけ。
ヒュッテに有料分別トイレが新築されていた。(¥100)
夜中に空を見上げる。満天の星とはこの事。明るい星の間に小さな星が無数にちりばめられている。白い雪原に黒い空。そこに輝く星の数々。これが涸沢の春の夜空。美しくてうっとり見とれてしまう。とても日本にいるとは思えない。心は、今ここにいられる幸せ感でいっぱいになる。寒くない。
明日は北穂高岳へ。


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