キララ(雲母)峰
     888(三重)

KIRARAMINE

2004年11月13日 晴れ 

旧料金所P7:00〜富士見岩9:10〜武平峠9:55〜鎌ケ岳(10:35〜11:30)〜稲森谷分岐12:00〜キララ峰(12:40〜12:45)〜稲森分岐13:15〜(稲森谷)〜東海自然歩道標識13:50〜くぐり戸滝14:20〜湯ノ山温泉バス停14:35〜P15:0


地蔵岩で岩に取り付く練習。前できたのに一人だとやはりできない。どうにか中ほどまで登って、今度は降りる事ができるかと心配になってそこから降りる練習。だが降りる事もできない。
左足を一番下の岩に下ろす事をすっかり忘れている。右足でずずっと滑り降りる。何回やっても同じこと。
一歩進んで二歩戻った感じで進歩がないな。やはり誰かそばにいないと一人ではできないのかな。依頼心が強い自分にちょっと落ち込む。でもけがをするといけないので諦めて岩を降り、中道に戻ろうとしたらなんとそこにTさん。又教えていただく。
どうしてそんなに身軽にできるの?教えてもらうとどうにかできた。岩に手を掛けたらひじを伸ばす。体をもっと離す。膝を曲げずに足を伸ばすなど・・・
キレットでは木の枝で摩擦についての講義も受ける。今日は冬靴を履いてきたから軽登山靴より固くていい。新しい目標「北岳」にはほど遠いよね。あちこちよじ登る。



どこからかオカリナの音色が聞こえる。すっかり冬の様子の遊歩道を行くと澄んだ空に神島や知多半島がはっきり望めた。
峠道で天指し岩に登る。左の岩に足を掛け上がり右側の岩に移って立つ。高くて狭くて怖い。でも気持ちいい。
鎌ケ岳に向ってレビュファーの手を広げるポーズ。「できたよ。」


鎌ケ岳山頂で「大休止」。メイドインスエーデンの折りたたみ式ガスコンロ「ブス」にお目にかかる。三十年ほど前のものらしい。まずメタという物で「余熱」。ブーッという音がして、その後火をつける。燃料はガソリンとか。
初めて聴いた音なのになぜか懐かしいように心に響き、温もりがあって安らぎがあって体の隅々まで心地良い。
ふと、ここが鎌ケ岳ではなく北アルプスかはたまたヨーロッパアルプスの山でそれも30年ほど前にタイムスリップしたような錯覚に陥った。
そのころアルプスでコンロとして働いていた?「ブス」。
時を越えて今私の目の前に。なぜか胸がじーんとしてその出会いは感動そのものだった。日当たりはいいのに冷え性の私は寒くて現実に戻る。紅茶をいただき温まる。

その後岳峠から左の宮妻口へ。さらにキララ(雲母)峰への分岐へ進む。
木の葉が落ちて前来た9月とは全く違う感じ。空が明るくて別の山の様。白ハゲを通って次の三岳寺、キララ(雲母)峰分岐を今日は右のキララ(雲母)峰へ。その後左に湯の山温泉(稲森谷)への道を分けてキララ(雲母)へ。
この辺りから山の様子が変わる。ぱっと空があいて前方にキララ(雲母)の山が目に入った。山の形がなだらかで優しくていい。キララ(雲母)にはまだ秋が残っていた。名残の紅葉があちこち綺麗で、静かな晩秋の山道を進む。
登山者も少なく落ち着いた明るい感じの山。荒々しい鎌ケ岳のすそにこんなやんわりした雰囲気のところがあるなんて・・・
左には御在所岳全容、ハライド、釈迦ケ岳が遠く目に入る。後ろには鎌ケ岳。右後ろに鎌尾根に続く水沢岳、入道岳などが葉を落とした木々の間や、まだ紅葉している葉の向こうに見え隠れする。
柔らかな光が雑木林にさんさんと降り注ぎ、ふかふかの落ち葉のじゅうたんの上を行くとどこかメルヘンの世界に迷い込んだような気がする。
落ち葉を蹴ったり踏んだり。できればこの枯れ葉の上を子供の頃の様にころころ転がりたい。キララ(雲母)の秋を独り占めしたようないい気分。


いつのまにか落ち葉も笹もなくなって登りつめると木立に包まれた山頂。木々の隙間から御在所岳、鎌ケ岳を望む。
登山道が鎌ケ岳からのほかに二本この山頂に続いていた。地図で見ると岳不動からとキララ橋からだった。
稲森谷分岐まで戻って右折。降りた稲森谷は小さな流れでいい感じだった。
川の中の石に乗って渡渉しながら降りて行くと広い川原に出た。右手にキララ(雲母)の紅葉した峰が午後の光を受け眩しかった。
この川原を右沿いに行くと東海自然歩道の標識があらわれ、振り返れば鎌ケ岳が稲森谷の上に大きかった。

橋や堰堤を越えていくと豪快な音がして、薄暗い廊下に大きい滝が目に入った。潜戸滝だった。水量がすごい。その迫力に圧倒されてか撮った写真がみんなぶれてしまった。
崩れた登山道を越え、湯ノ山温泉バス停から三滝川の石の上を飛ぶように歩き駐車場に戻った。ここで川の中を歩くなんて思いもよらずそれはピョンピヨンと楽しい飛び石歩き。
アルプスのような鎌ケ岳に対し、やさしいキララ(雲母)峰。対照的な二つの山の秋を満喫。Tさんのお陰で未知の世界を楽しく歩けたことに感謝しながら山を降りた。
又、私なんぞが知る由もない時代の山の道具に出会えた衝撃は大きく、山への想いをますます募らせている。その感動の余韻はまだ続いている。

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